2011年11月1日火曜日

神を見えなくさせる力

散歩途中の野菜畑の一角に菊が五つ固まりほどあった。創造主の色の配慮よ!
イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。 (新約聖書 2コリント3:14)
 霊的盲目である(訳注:神を信じられない)ことの理由

原因については一つ二つのことば(が考えられます)「この世の神がくらませた」その句には二つのことがらがあります。まずこの盲目とは結局は単なる自然なことではなく、超自然的なことであります。生まれつき盲目であると言うのはすべてを言ったことにはなりません。そうなのです、この盲目についてはそれよりもはるかに邪悪なものがあるのです。超自然的な盲目ではありますが、邪悪な超自然的な盲目であります。それは悪魔の働きです。それが一方で霊的な視力が与えられるには常にそのような恐ろしい闘いがなぜ伴うのかという理由であります。

誰も闘いなしには、また価を払うことなしには、そして恐ろしいまでの苦悩なしには、決して本当に御霊によって見え、理解するようにとはならないのです。( No one ever really does come to see by the Spirit and understand without a fight, without a price having to be paid, without a terrible amount of suffering.) 真の霊的照明と啓蒙はいかなる部分も犠牲をともなうものです。そのためにパウロは聖徒に関して膝を屈しなければならなかったのです。「私はひざをかがめて」「私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださるように」祈ります。(エペソ1:17)それは祈り抜かれなければならないものであります。エペソ人への手紙が6章で啓示されることと関連が大変重きをなすことに意義があるのです。

「私たちの格闘は主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから神のすべての武具を取りなさい」あれやこれや 「すべての祈りと願いを用いて、どんな時にも御霊によって祈りなさい」(エペソ6:12〜18)「この暗やみ」「絶えず祈る」「私は神があなたがたに神を知る知恵と啓示の御霊を与えてくださるように祈る」ご存知のように全部一つのことです。説明はここに、すなわち「この時代の神」にあるのです。私たちはこの霊的盲目のうちにある超自然的なものと対決しているのです。私たちはまさしく悪魔という全宇宙的な力、すなわち人々を盲目の状態に維持するように働く霊的存在と戦っているのです。)

真に霊的な視力を持つことは小さなことではありません。それは驚くべき勝利をあらわしています。そのことは単に受動的に座っていて、見えるように口が開くこ とによって実現するものではありません。このことに関する訓練がなければなりません。あなたが本当に霊的理解を求めようとする時、この時代の神の完全な力に抗して立っているのです。それは超自然的な闘いです。ですから、真の啓示の宣教となることはいかなる宣教の部分も闘いに巻き込まれます。前にも闘い、渦中にあっても闘い、後々まで闘いがあります。闘いとはそのようなものです。

それで、ここで光について訓練される必要があるのです。それはあなたが聞いているとは言え、聞いたならわかったと鵜呑みにしないことです。その後、あなたは主に対して明確に処理しなければなりません、また、主があなたに打ち破るように求めておられることが始められねばなりません、そしてことばを聞いたからと言って今や知っていると思い込んで自らを欺かないことです。あなたはそれを知らないかもしれないのです。まだ光が生み出されていないかもしれないのです。このことに必要な闘いがあるかもしれないのです。

もし私たちがそれを知るに留まっているのだったら、生活において生ずるたくさんの闘いは、神が私たちの目をご自身に向かって開かせ、御子の光へと私たちを連れ込むための道に私たちをもっと連れて行こうと求めておられるからで す。神は私たちの霊的水準が広げられることを望んでおられます。それに対して敵は反対し、助けることができたとしても助けるつもりはありません。闘いが発生するのです。私たちはそのことを理解できないかも知れませんが、極めてしばしばそのとおりなのです。すなわち主は物事の背後におられます。サタンは言います、もし私がそれを助けることができても彼らは見ないであろう、と。そこで大きな衝突が生ずるのです。この目が見えないことは、ちょうど光が照らされることが超自然的であるのと同様に超自然的なことであります。

(今日の箇所は Spiritual Sight - Chapter 5 の 抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003431.htmlで す。今日訳出しました部分のうち後半部分が該当箇所になりますが、私の英語力では難しく太刀打ちできません。識者の添削指導が欲しいところです。今日の直接の該当箇所ではありませんが、英文を併記したところは訳文に自信がないところです。)

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